ヨガのレッスンを受けると呼吸に関するガイドが頻繁になされますよね。しかもクラスが始まる前には呼吸法の練習も行われます。なぜヨガではこれほどまでに呼吸を大切にしているのでしょうか。
【目次】
呼気と吸気はどっちも大事~アーナパーナ・サティの話
やってみようアーナパーナ・サティ
呼吸が生命力を制御する~プラーナヤーマの話
瞑想から呼吸法,そして坐法へ
ヨガは実践の哲学なのだ
そんで結局ヨガの呼吸って?
呼気と吸気はどっちも大事~アーナパーナ・サティの話
ヨガの実践の起源は瞑想です。瞑想にトライしたことがある人は特にわかると思いますが,ただただ座っているというのはそれなりに努力が必要ですよね。さらに何も考えない境地に自らの意思で到達するのは至難のわざ。
そこで特定の対象に集中して心を鎮める瞑想テクニックが生まれました。サマタ瞑想(集中瞑想)と呼ばれるものです。蝋燭の炎を見つめるトラタクや,マントラを唱え続けるジャパ瞑想,そして呼吸を意識するアーナパーナ・サティなど。
アーナパーナとは,入息を意味するアーナ(āna)と出息を意味するアパーナ(apāna)を組み合わせた言葉です。サティとは意識すること。アーナパーナ・サティは「呼吸への気づき」と訳されます。
その名の通り,呼吸が入る様子と出ていく様子を意識することによって,心を鎮め,集中するテクニックで,釈迦がもっとも頻繁に行ったとされる瞑想法です。仏教の瞑想なので漢訳ももちろんあって「安那般那念」と表記されます。とはいえ,アーナパーナ・サティはサマタ瞑想を多く用いるヨガ瞑想でも重要なメソッドです。
さらにアーナパーナ・サティはヴィパッサナーやマインドフルネスなどの洞察瞑想(今この瞬間に生じる思考や感情をありのままに瞑想技法)への導入としても行われています。
やってみようアーナパーナ・サティ
①呼吸そのものを意識する:長く息を吸っているときには「私は長く息を吸っている」とはっきりと意識をする。同様に「私は長く息を吐いている」「私は短く息を吸っている」「私は短く息を吐いている」とはっきりと意識する。 ②全身を感じながら呼吸する:「全身を感覚を把握しながら息を吸おう」「全身を感覚を把握しながら息を吐こう」と訓練する ③静かな呼吸を心がける:「私は吸う息を鎮めて息を吸おう」「私は吐く息を鎮めて息を吐こう」と訓練する *これらの意識について頭の中で言語化=「気づく」ことを大切に。 *最初は鼻の下に意識を向けてみるのもやりやすいかも。
呼吸が生命力を制御する~プラーナヤーマの話
ここで「あれ? 呼吸はプラーナじゃないのかな」と思った方もいるのでは?
そう。ヨガでは呼吸法を「プラーナヤーマ」と呼んでいます。プラーナは呼吸,ヤーマは制御の意味で,プラーナヤーマは直訳すれば「呼吸を制御すること」です。プラーナは呼吸に留まらず,より広義には「生命力」という意味も持っています。ヨガの呼吸法では呼吸を制御することで生命力ひいては自分自身を制御するという考え方があるようです。
しかもプラーナヤーマでは呼気と吸気の間にあるどちらでもない状態=止息をクンバカ(kumbhaka)と呼び,非常に重要視しています。これはアーナパーナ・サティと大きく違う点です。
普段は自然に行われている呼吸を意識すると逆に息苦しく感じることがあります。アーナパーナ・サティもプラーナヤーマも,この違和感を注意力に置き換えて鍛錬に利用しているんですね。実際にクンバカを入れてみると呼吸への意識はより強くなります。
既に行われている呼吸を「意識する」アーナパーナ・サティに対し,クンバカがより能動的でフィジカルの実践に近づいていることがお分かりでしょうか。
クンバカについて初めて知った時には「クラスでは呼吸を止めてはいけないと注意されるのに?」という疑問が浮かびますよね。これはアサナ(asna 坐法; ヨガのポーズのこと)に執着するあまり,呼吸への意識が途切れいることへの注意のガイドです。
アサナは呼吸に合わせて姿勢を変化させるシークエンスで,プラーナヤーマよりもさらに身体的なアプローチです。ここで一旦は「アサナは呼吸法の派生的なメソッドだから呼吸への注意が大事なんです」と冒頭の問いに答えることができます。
では,そもそもなぜ呼吸法を練習するのかというより根源的な問に興味がある人は続きに参りましょう。
瞑想から呼吸法,そして坐法へ
さて成立当初のヨガの実践は瞑想一択だったことは冒頭で述べた通りです。
坐して目を閉じて心と向き合う目的は「心の作用を止めること」にあり,ヨガとは心の作用を止めることそのものを指しています。おお…わたし達が行っているのは飽くまでヨガの「練習」だったのね。
心の作用を止めるという表現が強くて驚いた方は,最初は感情を制御することと理解しても構いません。この目的がなぜ生まれたかを理解するには,古代のインド人が輪廻転生という概念を終わりのない苦しみだと考えていた点を知っておくと良いかと思います。その苦しみから逃れるための方法として「心のはたらきを止める」ことを選んだのがヨガという手法です。
ただ,現代人のわたし達は脳に関する知識もあり,心の作用を完全に止めるのは不可能だと知っています。だから個人的には「適切に心をはたらかせる」という風に捉えていいかなと思っています。最近よく聞く「認知のゆがみ」はヨガっぽく言えば不適切な心の作用です。つまり元来ヨガは認知変容を促すためのメソッドとして始まったとも言えます。
話が少し横道に逸れましたが,インド哲学や仏教は「輪廻からの解放と」いう共通のゴールを持ちます。ヨガは「実践を持って解脱を目指す」というスタイルで,思想は別の学派が担っています。哲学なのに思想を伴わないって結構衝撃的ですよね。
思想は他に任せた分,ヨガは様々な実践方法を生み出しました。
ヨガは実践の哲学なのだ
インド六派哲学のひとつ,ヨーガ学派の教典である『ヨーガ・スートラ』では,生活行動の倫理的ガイドである禁戒と勧戒に加え,アサナ,プラーナヤーマ,感覚の制止,集中,瞑想の実践を経てサマーディ(心のはたらきから解放された至福の状態)に至ることができるとされています。
この順序は実践すべき順番というわけではなく,外的から内的な面へと向かっているのがわかるでしょうか。最初に行動指針があり,次に身体運動を伴うアサナから瞑想へと身体活動の割合が減っていきます。
バラエティに富んだ心へのアプローチ方法を持つのがヨガの特徴で,さらにはアサナが膨大な数があるように,呼吸法も集中法も数多くのやり方が開発されています。そしてそのいずれもが「心の作用を止める」という目的に基づいたものなのです。
ここまで理解できれば,呼吸への意識を軽視することはヨガのメソッドそのものへの尊敬が欠けた態度だということが理解できるでしょう。出来ているかではなくて重視することそのものに意味があります。意識をするということは,心をその場に置いているということだから。
だからある意味ではヨガって全然自由じゃないんですよ。ある対象物に心を結びつけて集中することが求められる。ただ,膨大な実践方法があるので,選択の自由ならばたっぷりあるんです。
そんで結局ヨガの呼吸って?
ヨガの呼吸=腹式呼吸というイメージが一般にあるようですが,これ実は誤解です。
腹式呼吸は基本の呼吸法として行い,リラックス効果が高いためクラスの導入で行われることが多いのですが,アサナの際に推奨されるのは胸式呼吸だったりします。(それぞれの呼吸法の実践編は次回また!)
じゃあヨガの呼吸はなんでもいいのかというと,そうではなくて「鼻で吸って鼻で吐く」ことが原則。世にある様々な呼吸法は口から吐く派が多いので意外と鼻から吐く勢は少数派です。
鼻から吸うというのは理にかなってますよね。副鼻腔が使えるので吸気量もアップして呼吸が深まるし,感染などのリスク低減の意味も。でも鼻から吐いてもこれらのメリットがないんです。
それなのに鼻から吐く理由があるならば,この記事でくどいくらい説明してきたヨガが呼吸をどう扱うかがポイントになります。そう,ヨガの呼吸は「自己と生命力の制御」の練習です。
ゆっくり息を吐くときには呼吸筋が一気に動かないようにコントロールする必要があります。鼻から吐くと一気に吐いても口より出口が少ないため特に注意力が求められます。同時にコアマッスルも使うため,慣れていない人が対象のクラスやレッスンの冒頭などでは「口で吐いてもいいよ」とガイドすることもあります。鼻から息を吐く練習は注意力とコアマッスルの両方を育夢のですね。
また,感染が気になるこのご時世に口を開けずに呼吸ができるだけで安心です。もちろん呼吸法によって自律神経にもはたらきかけるので,免疫機能にも良い影響を与える可能性もあります。
アサナの練習の際に呼吸をしっかりと意識することは,注意力を培い,心を不適切な作用から守ることを促します。しかも身体にも好影響。心身の両方にはたらきかけるヨガのパワフルな効果の典型とも言えるのが「呼吸」なのです。
呼吸にまで構ってられないよ〜なんて言ってられなくなったでしょ?
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